電柱脇の随想ノート

創作に繋がる何か

「すばらしい新世界」を読んでみたら想像と全然違った

(おことわり:以下は物語のネタバレを多分に含みますので、ご了承の上お読み下さい)

ハクスリーの「すばらしい新世界」は、所謂ディストピア小説の代表作として、オーウェルの「1984年」ほどではないにせよ、昨今はそこそこの知名度があるように思う。

私はこの作品については、故立花隆氏の東大生を相手にした講義を本にしたものの中で紹介されていたのをたまたま目にしたのが最初である。もう15年くらい前だろうか。確かそこではもうとにかく凄まじい作品であるようなことを言っていたように記憶している。「1984年」はもう読んでいたので、あれよりも凄いのかとちょっと気後れしていたのだが、今になってようやく手に取ってみる気になった。

世界設定はこんな感じ

時代はフォード紀元(AF)632年(フォードとはあの自動車王のヘンリー・フォードのことであり、この世界では神のごとく崇め奉られている)(※1)。人々の価値観は大きく変わってしまっていた。九年戦争と呼ばれた戦争で化学兵器・細菌兵器が大量投入され、壊滅的打撃を受けた人類は、平和のためには芸術や宗教は何の役にも立たないとその価値を見い出せなくなり、安定と幸福に至上の価値を置くようになったのである。この世界のモットーは"共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)"である。

この時代の人類は、受精後瓶の中で人工的に育てられる。ボカノフスキー法により受精卵を安定的に増殖し、何十という多胎児を一度に(卵巣一つからは一万以上の人間が)生産可能となったため、同じ容姿の人間が何十人も存在している。

彼らは、生まれる前にすでに階級が決定している。階級は上からアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、エプシロンとなっており、それぞれはプラスやマイナス等さらに細分化される。上の階級の者は高度な知的職業に就くが、下の階級の者は知能や身体能力が低くなるような処置を施され、生涯単純労働の職に就くことになる。

彼らには生まれる前から、そして生まれた後もしばらくは「条件づけ教育」が施され、それによって生涯消えることのない反射的反応を備えることになる。それは仕事の環境を好ましいと感じることであったり、自分の階級に満足することであったりする(例えばアルファなら、デルタやエプシロンのようなみじめな境遇でなくてよかった、デルタやエプシロンならアルファやベータみたいに面倒な仕事をしなくて済んでよかった、とか)。

人間は人工的に誕生するため、親子関係というものが存在しない。父親や母親といった言葉は極度に猥褻なものとして忌避されている。

娯楽はそれなりに(というか、執筆された時代を考えるとかなり)存在する。労働は7時間半で終わるので、夜は余暇の時間として好きに使える。しかし条件づけの反応で、独りでいることを好まず、とにかく消費行動をするように仕向けられる。よってどこかの施設で消費的に娯楽を楽しむことになる。

恋愛は「奨励」されているが、特定の相手と長くつき合うことは良くないとされている。性的なことは忌避されず、むしろごく普通のこととして扱われる。フリーセックスが前提だし、小さい頃から「桃色お遊戯」(※2)が盛んに行われる。

ストレス解消手段としてのアルコールやドラッグは存在しない。その代わりとして「ソーマ」と呼ばれるものが支給される。これは副作用もなく、量を増やすほどに長時間の安息が得られた気分になるらしい。とにかく皆事あるごとにソーマを飲んでいる。

芸術や哲学や宗教は禁止されている。そもそも物事を「よく考える」ことが良くないこととされている。悩んだらとにかくソーマ。

アンチエイジングが発達しているため、誰もが若々しさを保っている。老いて醜くなることがない。60くらいで突然死ぬ(※3)が、死に対する恐怖も条件づけによって無くなっている。死後は火葬され、死体から回収されたリンは農業に再利用される。最後まで無駄がない。

主な登場人物

全編を通して登場する主人公といった存在は特になく、何人かの、この世界の有りように疑問を持つ人たちを巡って物語が進行していく。

前半から登場するバーナードは、外見が下の階級の人間に近いことにコンプレックスを持ち、周りと打ち解けられない。しかし後述するジョンと知り合いであることが切っ掛けで一躍時の人となり、大いにその立場に満足する。最初のうちこそ自分は体制と戦っているなどと思い込んでいるが、結局ちやほやされればそれで良しとする卑屈な男である。

バーナードの友人ヘルムホルツは、創造的才能を持ち、その才を活かした職に就き地位も名誉も得てはいるものの、更に面白いものを探求するうちに危険思想にはまってしまい、最終的に僻地の島に飛ばされる。しかしその境遇すらも楽しんでしまう余裕があり、出番は少ないがある意味最も主人公らしいといえる。ちなみにバーナードもとばっちりで最後にヘルムホルツと同じ目に遭っている。

バーナードが休暇で訪れた野蛮人居住区の住人ジョンは、かつてこの地に置き去りにされた文明人リンダの「息子」である。幼い頃からリンダに聞かされた文明の生活に憧れを持つ。また偶然手に入れたシェイクスピアの本を愛読し内容を完璧に記憶しており、会話でも頻繁にシェイクスピアを引用する。その外見、出自、思考から仲間たちから除け者にされている。バーナードの図らいでリンダと共にロンドンに連れて来られるが、それは野蛮人を研究するという名目であり、加えて自分らしく生きることに徹底して拘ったために珍獣のような扱いを受け、最後には耐えられずに自ら命を断ってしまう。

感想らしきもの

で、読んでみての印象だが、正直かなり拍子抜けした。

拍子抜けしたことの1つは、話に緊迫感のかけらもないことである。とにかく終始登場人物たちのドタバタ劇で話は進み、手に汗握るシーンなどこれっぽっちもない。終盤捕らわれて世界統制官との議論になるのだが、それとて終始和やかな雰囲気で、最後に「じゃ、君達僻地に飛ばすから」「おおそうか」みたいな感じで終わる。

やはり「1984年」のようなもの、という先入観が大きすぎたのかもしれない(まあそんなふうに先入観を持ったのはひとえに自分の責任なわけだけど)。がっかりした、というのとも違うのだが、このヌルさがまさか最後まで続くとは思っていなかった。

2つ目は、本当にこれはディストピア小説なのか?という疑問。なにしろこの世界の人々は誰も困ってもいないし苦しんでもいない。苦しむとすれば、バーナードやジョンやヘルムホルツのように「自分らしさ」を考えたり求めたりした者だけが苦しむのである。そしてそのように自分らしさを持ちたがる人にも改心や洗脳を行わずに暮らせる場所が(僻地だけど)用意してある。すべてにおいて、力によって解決を図ろうとしない。だから憎しみも生じない。読んでいて、この世界に嫌悪感をあまり抱かない。抱けない。かといって、積極的に身を投じたくなるような「『すばらしい』新世界」というわけでもなく、まあ、うまくいってるようだしこれもアリなんじゃない?というどこまでもふわっとした感想しか出てこない。

世界の成り立ちからして、そのような世界を望んだからそうなったのであって、別に野心的な者が征服・統一したわけでもない。ある意味、全世界規模で社会実験を行った結果である。現実にはもっと不確定要素が混入するだろうから、ちょっと思考実験が行き過ぎの感はあるが。そういえば解説に書いてあったのだが、これ以前のユートピアあるいはディストピア文学は、世界の成り立ちの経緯とか原因を端折って、突然顕現したとか発見されたとしたものが多いらしい。そういう意味では「すばらしい新世界」はかなり踏み込んだものだということだろうか。

などと、拍子抜けしたなんて言ったものの、むしろ色々考えさせられたという意味では読んだ意義は大きかったと思う。ディストピア小説とは、嫌悪感を抱かせるばかりではないということを教えてもらった。視野が広がった感じ。

注:

※1 物語の舞台は主にロンドンである。

※2 どういうお遊戯かは書かれていないのだが、まあ、だいたい察しはつく。

※3 言及されてはいないのだが、ソーマによって寿命が抑制されているのではと勘繰りたくなってしまった。