電柱脇の随想ノート

創作に繋がる何か

退屈と情報過多との狭間で

 最近、どうにも頭が疲れていると感じることが多くなった。

 

 鏡で自分の顔を覗き込むと、見るからに疲れている。なんか全体的に黒っぽい。覇気というか、生気がない。
 人の配信や動画などを見ていると、疲れて仕方がない。騒々しいとか声がかん高いとかいう以前に、人の話し声が気に障ってくる。仰々しい文字で埋めつくされたサムネイルが並んでいる様を見ているだけで、なんだかげんなりしてくるのだから、意外に重症かもしれないと思い至った。


 デジタルデトックスという概念がある、ということを最近知った。ある程度の期間、情報を遮断することで、精神のバランスを保とうという考えなのだが、やはり脳に情報を流し込み続ける行為は精神の健全さという観点からはあまりよろしくないのかもしれない。

digitaldetox.jp

 思えば、自宅にインターネット回線が来てからというもの、ほとんど休みなく情報に触れてきた気がする。
 最初の頃はYahooを起点にあちこちホームページを覗いていたが、程なくして2chの存在を知り、これは凄いと入り浸り、やがて2chに翳りが見えてきた頃にニコニコ動画にはまり、そこからニコ生のゲーム配信をあちこち見るようになった。同じ頃Twitterにも手をつけ、ニコ生がYouTubeに客を取られ始めた頃VTuberというものを知り、徐々にYouTubeに鞍替えしていった――現在までの自分の遍歴は、こんなものである。
 とにかく、ネット上にある情報は摂取しなけりゃ損だとばかりに、あれやこれやと見て廻った。だいぶ節操もなく。
 そしてそれによって結果的に、大袈裟に言えば精神を蝕むこととなった。とにかく、さすがにちょっとまずいのではないか、というくらいに疲れるようになってきたのだ。

 

 インターネット開通以前はどうやって生活していたか、などと過去を振り返ってみたりもしている。
 その時代の情報源といえば第一にテレビだが、これは割と早くから自室にあった。ただ、齧り付くように見ていたという記憶はあまりない。視線や姿勢が固定され、他のことがやりづらくなるテレビ視聴よりも、聴くだけで済むラジオの方が好きだった。どちらにしろ、四六時中点けっ放しということはなかったように思う。それ以外は、雑誌や漫画を読むくらいのものか。
 その頃は、入ってくる情報はひどく限られていたので、必然的に、自分から何か動かなければ退屈になる時間というのができた。
 特に、日曜日の夜中が最悪だった。なにせテレビも、ラジオすらも放送を休止する(都会の事情は分からないが、田舎はそうだった)。たいして眠くもないというのに、やることがない。本棚には読んだ本しかない。もちろん友達に電話なんてできない。さらに悪いことに、部屋の明かりをつけていると、母親に怒られる。
 もはや、布団の中で目をつぶってひたすら眠くなるのを待つしかない。それは、絶望的ともいえるほどの、退屈だった。
 この感覚は、本当に、今の情報過多の時代しか知らない人達には想像もつかないのではないかと思う。
 そして今現在、自分が生活に隙間なく情報を取り込もうと体が動いてしまうのには、こういう時代を生きてきた反動もあるのかもしれない。退屈を感じなくなった今、退屈が存在したあの頃は贅沢な時代だったなどと不届きなことを思ったりもする。

 

 無料、あるいはちょっとの出費で、ほぼ無尽蔵の情報に触れることが可能となった今、人類はついに退屈を克服した、と言いたいところだが、そうでもないような気がする。
 これだけの情報に溢れていても、たまに若い人の口から「暇」という言葉が漏れているのを目にする。やれることがない、というよりは、やれることがあっても、目的のことができない状態、何をするべきか分からない状態であってもそう感じているっぽい。退屈の概念も徐々に変わってきているのだろうか。

 そして、退屈だ退屈だと言いながら、無為に情報を頭の中に流し込み続ける。間断なく。そりゃデジタルデトックスも必要になるわけである。

 

 疲弊しないためにはどうするか。個人的には、氾濫する情報とどのように距離を置くかということが重要だと思い、あれこれと策を弄する、というほどでもないが、以前よりかは考えつつ情報と接するようにしている。
 以下は、現在の私の「情報との接し方」であるが、私は現在精神的に相当に疲弊していることに注意してほしい。おそらく元気な人には何の参考にもならないと思う。

  • まず、動画や配信を見る時間はなるべく減らしている。以前は、ながら視聴なら別に構わないかなと思っていたのだが、それもやめた。ゲーム配信などは、大概必要以上に騒ぎ立てるので、長時間見ていると結構堪えるのである。
     音がなくて寂しいと感じた時は、radikoで音楽がよくかかる番組か、喋りの落ち着いた番組を聴くことが多い。あるいはアンビエント系のインターネットラジオもよく聴いている。
  • SNSは、X(旧Twitter)しかやっていないのだが、これはイーロン・マスクの幾多の愚策のお陰でTLが大変見辛いものになったため、自然と見る機会が減った。それでも、まだ気が付くと1時間やそこらはだらだらと読んでいたりすることがあるので、もっと意識的に減らさないとなあと思っている。
  • ネットの情報を深追いしない。あれもこれもとリンクを辿って読み漁ると覿面に疲れるので。ニュースや人の投稿も最初だけ見て、自分にあまり関係なかったり、興味が持てないようであれば、そこで打ち切る。
  • アウトプットの機会を増やす。この文章もそうだが、駄文でもなんでもいいので、とにかく書く。吐き出すと結構スッキリする。時には紙に思っていることを書き殴る。とにかく頭に受かんだことをそのまま(紙に、というのが重要)書いていくというのは、精神の健康にとても良いらしい。以下の書籍では、「モーニングページ」という名称で、朝起きてすぐに書くことを推奨している。

  • 睡眠時間を削らない。寝る時には必ず真っ暗にして、音を出すものは全部止めてから寝る。当たり前のように思えるかもしれないが、怠惰な生活をしていると案外この辺が疎かになっている。

 

 やはり人間、退屈な時間というのは精神の健康を保つ上で不可欠だ、というのが持論である。しかし、情報をシャワーのように浴びる時間と、退屈な時間との繰り返しだけでは、何ら面白いことは起こらない。くだらなくてもいいから、積極的なアウトプットを心掛けたいものである。