確か21世紀に入ったくらいから、テレビとは無縁の生活を送っているように記憶している。別段それで不自由でも、不便でもない。むしろ快適なくらいだ。
ただ例外的に、夕食の時間は家族がテレビを点けているので、嫌でも視聴せざるをえない状況に置かれる。無論、一人の我儘で消させるなどということはしない。そこまで自分は神経質ではないし、そのくらいの分はわきまえている。
そんなわけで、夜の7時台だけはボーッと画面を眺めているのだが、この時間帯はクイズ番組が多い*1。そしてどの番組も、どこまでも気の抜けたような問題ばかりが出題される。
日本各地の観光名所の名前とか、城や寺社仏閣の名前とか、山とか花とか、毎週毎週飽きもせずに聞いては、名前くらいしか知らないタレントが大袈裟に間違えて笑いを取っている。
上記の問題のジャンル、考えてみれば年寄りが好きそうなものばかりである。昨今はテレビなんぞ高齢者くらいしか見ないだろうし、やはり視聴者層の好みに合わせて作問しているのだろうか。そうしてみると、なんとなく番組自体が年寄りの認知症予防かなにかのためにあるかのように思えてくる。
かと思えば、スポンサーの意向か知らないが、テーマパークのアトラクションの名前や、外食チェーンのメニューのランキングを当てさせたりと、そんなもんクイズにする意味があるのかと言いたくなるようなものが続く。が、もう見る側もそんなもんだという感じで諦めている。
昔は各番組もう少し趣向を凝らして、それなりに面白いと思えるものもあったような記憶がある。
大昔は単に知識と瞬発力で物を言わせるなるクイズ番組がほとんどだったが、それだけではない、知的エンタメのようなもののはしりとして、「平成教育委員会」(レギュラー放送は1991年-1997年)という番組があった*2。あの番組の画期的だった点は、解答者に知識だけでなく、特に理数系で重要になる論理的思考力を要求したところであると思う。きちんと筋道立てて説明できないと、勘で当てたくらいでは評価されない。その辺のシビアさが良かった。
しかし、あの番組も理数系の難しめの問題は徐々に減っていったように記憶している。もしかすると、その時間帯だけ視聴率が落ちたなどの事情があったのかもしれない。視聴者からのクレームとしては「もっと簡単にしろ」は来るだろうが、「もっと難しくしろ」というのはあまり想像できない。どんどん幼稚化するのは、この手の番組の宿命なのかもしれない。
その他にも、あの時代は「マジカル頭脳パワー!!」(1990年-1999年)とか「カルトQ」(1991年-1993年)とか、今思うと各番組それぞれ特色があったのだなあなどと考える*3。そこまで熱心に見ていたわけではないけど。
7時台の番組だけ見て物申すのもおこがましいとは思うのだけど、知的エンタメや脳トレといったものが大好きなはずのわが国民は、どうも段々馬鹿になっているような気がする、と昨今のクイズ番組を見ていると思う。明らかに問題のレベルが下がっている。
先日、某クイズ番組を見ていたら、「亀は爬虫類か両生類か?」という問題が出題され、しかもそれが難問扱いされていたのには、さすがに唖然とした。せめてイモリとヤモリくらいなら分からなくもないのだが。あんたらウン十年間亀が爬虫類と知らずに生きてきたのかと思わず顔も見えない視聴者を問い詰めたくなった*4。
音楽の問題にしても、童謡の歌詞の穴埋めとか(それは音楽ではなく国語の問題だろう)、鍵盤のソの音はどこでしょうとか、ト音記号を出してこれは何でしょうとか、くだらな過ぎて目をそむけたくなるような問題で延々ワイワイとやっている。
後半の難しめな問題は、大抵「検索すればすぐ分かる」系である。都道府県別の農作物の収穫量とか、世界遺産に対応する国名とか。むしろ逐一覚えてられるかそんなもん。もう地理とか統計資料のようなググれば出るものは真面目に考える気になれない。
他の番組も、だいたい似たり寄ったりな感じがする。もういちいち例を挙げるのも疲れるのでこの辺でやめておく。
とまあつらつらと書いたが、ボケ防止にでも役立つのであれば、それはそれで結構なことだ。でも若い人は他のメディアでもっと知的なものにどんどん触れてほしい。
(ところでふと思ったのだが、もしかすると、問題のレベルの低さには、丹念に調べ上げた問題でも、後で専門家から突っ込みが入って訂正させられるくらいなら、誰でもそうと認めるような普遍的な事項を出題したほうがリスクが小さいという計算が働いているのかもしれない。ただでさえ間違いは即座にSNSなんかで吊るし上げられるご時世だし。だとしたら世知辛いなあ)