電柱脇の随想ノート

創作に繋がる何か

今年の目標なんかよりも大事なこと

気が付けば、今年も明けてから結構経ってしまった。

 

本来であれば、今年の目標など掲げようなどと考えていたのだけれど、どうにも書く気になれない。というのも、今の自分に必要なのは、なにか決められた目標を掲げてそれを達成することではなく、義務感からの開放だという思いがとても強くあるからなのだが。

 

今まで生きてきてウン十年、割と頑張りを要求される場面では人並以上には頑張ってきた方だと思う。その度に、周りがこちらに何かしら期待するようになっていくのをひしひしと感じた。その期待に応えれば応えるほど、ますます期待は大きくなっていき、いつしかそれは自分を束縛するものとなっていき、そしてある瞬間に、糸が切れたかのように、生きる気力を失くす……といった経験が、これまでの人生で3回ほどあった。その中でも今回のは深刻であり、もう回復不能に近いくらいの無気力状態に陥ってしまった。

 

そんな無気力の中で、やっと、気付いたのである。自分は束縛を奮起して乗り越えられるようなタイプではないということに。

 

全く逆なのだ。自分は、誰からも何も期待されていない状況においてこそ、奮起できる性分なのだ。

 

一般論として、他者からの期待を多く集め、その期待に応える成果を上げる人こそが素晴らしい人間なのだとされている。しかし、その裏で、期待されるほどにやる気を失い、何も期待されていない状態においてその実力を遺憾なく発揮できる類の人もいる。自分のように。

 

そのような性分である自分が生きやすい、行動しやすい環境は一般社会の中には期待できないだろう。だとすると、自分で環境を作るしかない。

 

とはいうものの、完全に社会的な義務から開放されるというのは、どだい無理である。生きていく以上は仕事は(普通の人よりは少ないが)しなけりゃ干上がるし、生活上省略できないことはいくつもある。それは受け入れるしかない。*1

 

ただ、新年度からは今よりも束縛は少なくなることは確実なので、その時期をひとつの節目として、今までとはちょっと生活を変えてみようかと思っている。

 

とりあえず、4月から1か月くらいは、ゲーム、読書、動画鑑賞(映画とかアニメとか)三昧の日々を送ろうかなどと考えている。*2特にここ半年くらいは、義務感と欲望との間で陰鬱になり、何も手につかない状況が続いた。その反動で、今はとにかく何かをインプットしたくて仕方がない。まあおそらくはインプットし続けていればアウトプットもしたくなるだろうから、そうなったら適当に思いのたけを書き散らしていこうと思う。

 

*1:ただし全力を出すつもりは毛頭無い。手を抜ける限りは手を抜く。

*2:これを堕落と言うなかれ。そのような考え方こそが、社会常識という既成概念に囚われた思考と言える。