電柱脇の随想ノート

創作に繋がる何か

明るく楽しいディストピア

なんとなくだけど、近未来的な世界を舞台にした物語を書いてみたいという欲求が最近ある。

 

そこは現在の価値観や倫理観とは些か趣を異にする世界で、決して現状が良いものでもないし、明るい未来があるわけでもない。ただそこに生きる人達は世界というのは「そういうもの」として折り合いをつけてなんだかんだで楽しく毎日を生きている。

 

なんというか、ディストピア的な世界に傾いてはいるけれど、トータルで見ると楽しく生きられている、言ってみれば「明るく楽しいディストピア」的な。矛盾してるようだけど、そんな世界を考えている。

 

この「明るく楽しいディストピア」って、人によっては現代にも当てはまるんじゃないかと。

 

ネットのニュースとかSNSとかばかり見ていると、現実の世界がどんどん悪い方向に進んでいるという認識で固まってくる。 そりゃあネット(というか主にTwitter)ばかり見ていれば、今の世の中まるっきり生き地獄のように語る人達ばかりで、そう思えてくるのも当然なんだけど。でも本当にそうなのだろうか。さっきも書いたけど、物事はトータルで判断しないと、総体としてどうなっているのかを見ないとうまく捉えられないと思う。

 

政治に関しては、人によっては、現代は独裁政党がこの国を支配し、人々がマイナンバーというたかだか数桁の数字によってデータ化されている超管理社会のような捉え方をしているかもしれない。でも思想信条の自由は保証されているし、数十年前からするとずっと多様な価値観が受け入れられるようになった。そういう意味ではそんなガチガチに統制された社会でもないし、むしろ昔よりだいぶ良くなった所もあるといえる。

 

経済は、所得が減って、税金が上がって、貧困化が進んでいるという。じゃあ今日か明日にも餓死するか、それともいずれそうなるのか、というとそんな事もなく。安くて高品質な食品・商品が揃っている。それでもどうしようもなくなったら生活保護を受けられる。つまり完全に見捨てられるということはまずない。

 

確かに何十年か前に比べたら、自由気ままに海外旅行とか、ブランド品を買い集めるとか、そういったことはできなくなっている。ただ、圧倒的に大量に世界の情報が、部屋にいたまま入ってくるようになった。ほぼ無料で。

 

いちばん大きいのは、創作活動にかかる初期費用が限りなくゼロに近くなったこと。無料では限界があることは確かだが、金がなければ話にならなかった時代と比べれば天地ほどの差がある。

 

病気の心配?国民皆保険制度のお陰で、余程のことがない限り医療は受けられる(制度自体の是非は議論の余地があるだろうが)。それも世界的にみればかなり高度な。

 

孤独な老後?孤独死?別に家族以外に話し相手なんてネットにいくらでもいるけど。そもそも死なんて孤独なものだし。 

 

こんな感じで、見方によるわけで、そうそう簡単に天国だ地獄だと言い切れるものではないよなあとか思っている。

 

ただ目下のところ、最大の懸念材料は「少子化」だと思う。もう移民に頼ることなく自力で回復させることは不可能に近いと言われている。ただこれもある程度まで減少したところで落ち着くという見方もあって、民族的に滅びるとまではいかないのかもしれない。とはいえ確実にそうなるという保証もない。個人的には、そう遠くないうちに人類は人為的に人口というか出産を操作する方向に舵を切るのではと思っていて、その辺を物語に取り入れられないかとか考えている。まあこれは長くなるのでまた別の機会に。

 

でも、ディストピアを語るとか、まして構想するためには、さすがに「1984年」を読みましたなんて程度じゃ圧倒的に知識が足りない。とりあえずとっかかりとしてハクスリーの「すばらしい新世界」を購入してみたので、後で読んでみようと思う。